部活で後輩や同世代のライバルにレギュラーをとられ、補欠になってしまってつらい人へ
こんにちはぽんちです
題名にもあるようにレギュラーを取られてしまって辛い日々を送っている人に向けてこの記事を書いています。
僕は現在18歳です。
まず初めに僕自身の経験を知っていただきたいです。
僕は小学校では野球を、そして中高ではバレーをしていました。
小学校時代は下手くそながらもエースナンバーをもらって当たり前のようにチームの主力として試合に出させてもらってました。
中学からバレーを始めましたが先輩が5人しかいなかったので、初心者にも関わらず入部からわずか2ヶ月で先輩たちの引退がかかった試合に出場しました。
先輩は少なかったのですが同い年で24人も入部したので自分がその中で1番うまいんだと完全に天狗になってました。
そのままレギュラーを外れることもなく1年時はリベロ、2年時はスパイカー、3年時はセッターを担い、最後の大会では県大会3位となってその上の大会にも出場しました。
自分たちの中学のバレー部では史上初のことでした。
また、個人としても県24人の優秀選手の中に選ばれました。
しかも県内のバレーで有名な高校が何度も声をかけてくださり推薦でその高校に進学をしました。
ひとまずここまで読んでいただきありがとうございます。なんだ自慢かよと思った方すみません。
しかし本当に知っていただきたいのはこの後です。
読んでいただいたようにここまでは正直順風満帆なスポーツ人生を歩んできていたと自分でも思います。
入学する学校は必ずベスト4以上にはいるものの優勝からは遠ざかってしまっていたので、高校でも活躍して全国にいってやろうと意気込んで入学をしました。
しかし今までは経験したことのない先輩の多さや部活の伝統などに驚きました。
礼儀も厳しく、先輩はみんな上手くて怖かったです。練習では半分以上の時間はボール拾いで終わり、全国各地へ遠征にも行きましたがほとんどが審判をして帰るだけでした。
12月の春高が終わり2個上の先輩が引退した後も1個上にセッターの先輩が2人いたのでBチームの方でもその先輩と交互でしか試合経験が出来ませんでした。
順調ではないものの同年代にはセッターがいなかったので先輩がいるうちはしっかり練習して自分たちの代になったときにレギュラーで頑張ろうと思っていました。
そんな状態で早くも僕は2年生となり後輩が入ってきました。
中学の時は地域に小学生のバレークラブがなかったので同級生も後輩もみんな初心者だったのですが高校ではもちろん初心者は1人も入ってこず、後輩たちはみな中学時代に有名な選手ばかりでした。
そして自分にとって最も最悪だったことが県選抜のセッターの後輩が入学してきたことです。
県選抜というのは都道府県対抗の試合に出場する県内から選出された12人のメンバーのことです。
僕はその1つ手前の24人で終わってしまったのですが、その後輩はそれに選出されるだけでなくその県選抜のチームでキャプテンも務めていたのです。
コロナでの休校があってその後輩たちも交えた練習が始まったのは6月からでした。
この時点で既にインターハイ中止が決定しておりセッターの先輩1人を含む何人かが引退していました。
つまりこのときはそれぞれの学年に1人ずつセッターがいる状態です。
後輩に負けたくないので一生懸命練習していましたが心のどこかではまあ大丈夫だろうと思っていました。
今まで少し不安なことがあっても結局は自分に都合の良い結果になっていたからです。
それから1ヶ月ほど経ったある日の学校練習。いつもと変わらない練習内容。僕もいつも通り練習していました。するといきなり後輩が監督に呼ばれてAチームの練習に加わったのです。
すぐには状況が飲み込めなくて、焦りとショックをとても感じました。
先輩や同世代の仲間が心配して声をかけてくれましたが全然気にしていないかのように振る舞いました。
ショックを受けている姿を周りに見せることを恥ずかしいと感じていました。
だからどんな態度でいれば良いのか全く分からなかったです。
その日を境に後輩がAチームに参加する練習がどんどん増えていきました。
試合形式の練習では監督に「悪いけど変わってくれ」と言われ、僕の練習機会を奪われることもありました。
ただ、この後輩はすごく良いやつなんです。それに僕たちはすごく仲もいいです。だから後輩が僕に対して申し訳なさそうにしていることが余計に惨めでした。
しかしそれでも僕は諦めませんでした。日々試行錯誤を繰り返して、毎日全力で練習をしました。
そして先輩の最後の大会。ベンチには先輩と後輩の2人がセッターとして入りました。ポジションの関係もあって同世代のチームメイトも全員ベンチ入りし、僕だけがスタンドでの応援となりました。
本当にやめたいって思いました。この大会で僕だけベンチに入らなかったことはもちろん、この大会で後輩にとられたということは来年新チームになったときも僕はレギュラーにはなれないと分かったからです。
はい。
これが僕の経験したことです。
今まで思い通りに生きてきたからこそ、この挫折が余計に響きました。
人生の汚点になるとまで考えてました。
この時期は本当に苦しかったです。一時的に忘れることはあってもふとした時に必ずこのことが頭をよぎるんです。
僕の高校では授業にiPadが導入されていたので授業そっちのけで
「部活 後輩 レギュラー」
「部活 後輩 負ける」
「部活 試合出れない」
とかをひたすら検索していました。
しかし僕の気持ちが晴れるような記事はありませんでした。
だからこそ僕自身が誰かの心を軽くできるような記事を書きたいと思いました。
やめたいと思いましたが僕にはやめるという選択肢はなかったので本当に悩みました。
部活をやめることは決して悪いことでは無いと思います。
しかし今回は部活をやめるという解決策以外で考えました。
この記事を当時の自分にも見てほしいです。
結論から言わせてください。
部活でレギュラーになることは人生において重要なことではありません。
時間が経った今だからこそ言えることかもしれませんがこれは事実です。
むしろ僕は、そのまま苦労なくレギュラーになるよりもこの経験のおかげで大きく成長できたと思っています。
中学のチームメイトで、高校では全国大会に出場してレギュラーで試合にも出ていた友達がいます。
その友達に高校の部活において学んだことは何か聞いてみました。
するとバレーの技術のことだったり練習の苦労だと言っていました。
言い方は悪くなってしまいますがそれって正直レギュラーじゃなくても学べます。
高校の部活でレギュラーだったことがこの先の人生で影響してくることは全く無いでしょう。
全国大会に出場した友達でさえ全国出場が何かの役に立つことなんてほとんどないって言っていました。
逆に僕はこの経験で多くのことを学びました。
私立の学校なのでバレーをするために高い学費を親が払ってくれおり、レギュラーになれないのに本当に申し訳ないと感じていました。僕の家は決して裕福な方ではないのですがそれでも親は僕に期待を押し付けてくることはなく、静かに応援し続けてくれました。
全てが自分の思い通りにいくことはないと学んだことで世の中には当たり前のことなんてないと改めて気づけました。
そう感じてから周りのさまざまなことにすごく感謝できるようになりました。
さっき書いたように親が子供にしてくれることも当然なことじゃなくて本当にありがたいことなんだと気づけました。
また、やれるだけのことをやってもレギュラーになれないのだったら部活だけを頑張ってるのではもったいないと思い勉強にも力を入れるようになりました。
どうせ目指すなら目標は高い方がいいと思い早稲田大学を目指して勉強にも取り組みました。
また、今まで大きな挫折なしの人生を歩んできたからこそ初めて挫折を経験できたこと自体も僕の人生にとって大きな財産になったと思います。
また、ただ経験しただけでなく自分の力で立ち直れたことも本当に良かったです。
レギュラーにならない方がいいと言いたいわけではありません。誰でもレギュラーになりたい気持ちはあります。
ただ、レギュラーであろうとなかろうと部活動を通して何を学ぶのかが最も重要なことであると僕は思います。
もちろんレギュラーになることを最初から諦めて頑張らなかったらだめです。全力で頑張ることは大前提です。
その上でレギュラーになれなかったとしても全然かっこ悪いことなんかじゃないです。レギュラーはおまけのようなものであり1番大切なのは精一杯努力することです。
レギュラーになれないことは確かに辛いことです。
僕もすぐこんな考えになれたわけではありません。
ですがこのように人間的に成長するチャンスでもあるのです。
全ては自分の捉え方次第です。
ここで頑張ることをやめて毎日やる気なくダラダラ過ごしたらもったいないです。
少しでも早く気持ちを切り替えて前よりも一層充実した日々をあなたが送れることを願っています。😊